「物を大切に」で思うこと

よもやま話

子供の頃から「物は大切にしなきゃ」「物を粗末に扱うと幸せになれない」と教えられてきた。同じようなことを親から言われてきた方も多いだろう。

確かに大切な教えだと思う。現代の日本は物があふれる時代だけど、資源に限りがあるのは事実なので、まだ使えるものや再利用できるものはできるだけ使うというのがエコだし、地球や環境にも優しいし、SDGsの考えにもマッチする。今あるものをできるだけ綺麗に使って、維持していくのが理にかなっていると思う。

一方でそれが度を過ぎるとおかしなことになると感じる。

物はあくまで人が快適に暮らすためのもの、時間を有意義に使うための道具であって、まさしく「モノ」である。それが、「モノ」を維持するために人が苦しんだり、不快なことを我慢するのは本末転倒だ。それを強いられると、一体何のためにという疑問が湧いてくる。

例えば、以下のようなことが、家庭や日常生活でみられたら要注意だと思う。

  • 買った服を綺麗においておきたいから着なかったり、着てもすぐにクリーニングに出す。
  • トイレを汚さないために、できるだけ使わない、使わせない。
  • 家を綺麗に保つために、人、子供やペットの行動を制限する。
  • パートナーと共用で使っているもの(例えば車とか)が傷ついてしまった時に、パートナーを責め続ける。

例であげた、服・トイレ・家・車などは、どれほど高価なものであってもあくまで人が快適に過ごすための「モノ」=道具に過ぎない。それらを維持するために、パートナー、家族そして自分自身が辛い思いをしたり、苦しんでいるのはおかしいことだと思う。まるで、モノのために生きているような生活になってしまう。

物への価値感は人それぞれだと思うが、あくまで人が快適に過ごせることが最優先であって、決して人<「モノ」になってはならない。私は、少々「モノ」が汚れようが、壊れようが気にしないし、周りの人が汚したり、壊したりしても「大丈夫だよ」「気にしなくていいよ」といってあげられる大人になりたい。それがゆとりある生活だと思う。そして、あくまで、人が快適に過ごせる範囲内で「物は大切に」しようと思う。

では、また。

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