他人の目が気になる人たち

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「こんなこと言って嫌われないかな」「あれをしてみたいんだけど、上手くできないとみんなの視線が気になる」…

何かを言ったり、行動する時に、どうしても他人の目が気になる時がありますよね。嫌われないように、言いたいこと、やりたいことを我慢したり。

私は、「他人の目を気にして」「普通」にすることに注力しない生き方を心掛けています。

他人の目について

私も、大学時代の頃までは、他人の目を気にしている人間でした。順調に人生を歩んでいたと思っていたのですが、その頃、肉親が急逝するという経験をしました。世の中には、同じような経験をされた方も多いと思いますが、経済的な困難があったり、周囲の人からそれまでとは違う接し方をされたこともありました。

若かったこともあり、思い悩むこともありましたが、時間が経過するにつれ、いつのまにか周囲の人の接し方や話す内容も通常運転に戻っていきました。

結局「自分が気にしているほど、人は自分のことを見たり考えたりしているわけではない(良い意味で)」のです。そう考えると、一気に気分が楽になりました。

「普通」について

「普通は〇〇だから」というのもよく聞くフレーズです。この「普通」というのは他の人達がどうしているか、どう見ているかの最大公約数的なものとも言えますね。

じゃあ、「普通」にしていると人は幸せになるのでしょうか。

確かに「普通」にすれば、多くの人と同じ言葉を発し、同じ行動をすることになるので、他の誰かからいろいろな意味で攻撃されることは少なくなります。そして、他の多くの人と同じような結果にたどりつくわけです。                                          では、他の人と同じ結果、「普通」で平均的な生活が幸せかというと,そう感じられない場合も多いのではないでしょうか。平均的な収入、平均的な見た目、平均的な成績…。周囲の人に合わせた生き方をしながら、可もなく不可もない結果を求めることが楽しいかといわれると疑問を感じます。 

「同じことを繰り返して違う結果を望むのは狂気」とアインシュタインが言ったかどうか?は定かでないようですが、私はこの言葉について腹落ちしています。この言葉は、同じ人が同じことをする前提なのでしょうが、自分と他人に置き換えても同じことが言えると思っています。皆と同じことをしていれば、同じような結果となるのは当然です。

私は、「普通」を意識せず、できるだけ心の距離をとる生き方で、ある面では平均を超え、ある面では平均以下?の生活をしていますが、何か不自由に思ったことはありません。

完全に「普通」から離れてしまうと、それはそれで「狂気」なのかもしれませんが、「普通でなくていいんだ」「人に必ずしも良く見られなくても構わない」と思えるだけで、ずいぶん生きることが楽になりますよ。  

では、また。

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